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第9話  

「そうだ、薫姉さん、俺と一緒に住まないか?こんなに広い家、一人じゃ住みきれないし、家賃も節約できるだろう?」

 森岡翔も、なぜ自分がこんなことを言ったのか分からなかった。考えてみれば、中村薫と知り合ってまだ2日しか経っていない。一緒に住もうなんて誘ったら、失礼にあたるかもしれない。それでも、彼はそう口にしてしまった。しかも、心の中では密かに期待している自分がいた。

 実は森岡翔は、相川沙織と付き合っていた時、彼女の前ではいつもおとなしく、彼女の言うことを聞いているだけだった。ほとんど発言権はなかった。

 しかし、中村薫といる時は違った。彼女は、何をするにも彼を優先し、どんなことでも彼の意見を聞いてくれた。

 男なら誰だって、多少は亭主関白なところがある。女性に自分を立ててほしいと思うのは当然だ。だから、中村薫の振る舞いや話し方は、森岡翔をとても心地よくさせ、彼は無意識のうちに彼女と一緒にいることを好んでいた。

 「そんな…いいのかしら?」中村薫は少し戸惑ったように尋ねた。

 口ではそう言いながらも、心の中では興奮を抑えきれないでいた。もし一緒に住むことになったら、森岡翔という大木にしっかりとしがみつくことができた。

 森岡翔が自分に手を出してくるかどうかは、全く気にしていなかった。むしろ、彼を誘惑しようとさえ考えていた。

 中村薫は、子供の頃から自分の意志をしっかり持っている女性だった。高校時代も大学時代も、常に学園のマドンナ的存在で、彼女を慕う男性は後を絶たなかった。中には、イケメンや裕福な家庭の息子もいたが、彼女はすべて断っていた。

 つまり、中村薫は今まで一度も恋愛経験がないのだ。彼女は自分が何を望んでいるのかを分かっていた。もし、普通の男性と平凡な人生を送ることを望むなら、恋愛をしても良かった。10人でも20人でも、付き合う相手には困らなかっただろう。

 しかし、彼女はそんな人生を望んでいなかった。彼女は自分の価値を実現し、自分の運命、そして家族の運命を変えたいと思っていた。将来、自分の夢を実現してくれるような男性にとって、誰かのものだった女と誰のものでもない女では、天と地ほどの差があるんだ。

 だから、彼女は今まで恋愛をせず、この日を待っていたのだ。森岡翔こそ、彼女の人生を変えてくれる存在だ。彼の力があれば、頂点まで登りつめなくてもいい。最初の枝分かれしたところに辿り着ければ、それで十分なのだ。

 彼女は、森岡翔のような大金持ちの息子と結婚しようなどとは、これっぽっちも思っていなかった。彼のような家柄なら、必ず家同士の釣り合いが取れた相手と結婚させられるだろう。

 彼女は自分の立場をわきまえていた。この道を選んだ以上、結婚するつもりはない。

 だから、森岡翔から一緒に住まないかと誘われた時、彼女はあまりにも突然の幸運に戸惑ってしまった。

 「何も悪いことないよ。どうせ、こんな広い家、一人じゃ使いきれないんだ。誰かと話せる相手がいるのもいいだろう?もちろん、薫姉さんに彼氏がいたら、この話はなかったことにしてくれ。余計な誤解を招きたくないから」森岡翔は言った。

 「彼氏なんていないわよ!実は…翔くんに笑われるかもしれないけど、私、今まで一度も恋愛経験がないの。ただ、翔くんの邪魔になるんじゃないかと思って…」中村薫は慌てて言った。森岡翔に誤解されたくない一心だった。

 恋愛経験がない?まさか!森岡翔は心の中で思ったが、口には出さなかった。

 「邪魔になんかならないよ。俺は賑やかなのが好きなんだ。こんなに広い家に一人で住んでると、寂しんだよ。もし薫姉さんが来ないなら、大学で誰か二人くらい連れてきて、一緒に住もうかと思ってたんだ」

 「翔くんがそこまで言うなら、お言葉に甘えさせてもらうわ。じゃあ、明日引っ越ししてくるわね」

 「そうと決まれば、何か手伝うことある?」

 「ううん、大丈夫。一人でできるわ。それに、大して荷物もないし」

 「わかった。じゃあ、自由に見て回って、どの部屋に住みたいか決めてよ。この階の部屋なら、どこでも好きなのを選んでいいよ」森岡翔は言った。

 「そうだ、薫姉さん、一緒に泳ぎたいって言ってたよな?いつでもいいよ。この上の階にプールがあるんだ」

 「いいわね!今、行っちゃう?」中村薫は誘惑するように言った。

 「げほっ…げほっ…いや、今日はやめておこう。また今度な」

 森岡翔は、中村薫の言葉に全く歯が立たないと思った。それに、ソファに体を預け、色っぽい視線を送ってくる彼女…生まれながらの魔性の女だ。

 中村薫は立ち上がり、森岡翔の目の前まで来ると、腰をかがめて彼の耳元で息を吹きかけながら言った。「じゃあ、翔くんが誘ってくれたらいつでもOKよ。水着も良いできたし、まだ誰にも見せてないの」

 森岡翔は、中村薫の色気に体が熱くなるのを感じた。今すぐにでも彼女を押し倒してしまいたい衝動に駆られたが、なんとか理性で抑え込み、立ち上がって言った。

 「薫姉さん、ゆっくり見てて。あの…俺はちょっと上の階に忘れ物を取りに行って来るから、後で一緒にホテルに戻ろう」

 森岡翔は顔を赤らめ、適当な言い訳をして上の階へ上がって行った。もう我慢の限界だった。今、彼は中村薫を誘って一緒に住むことにしたのは、完全に間違いだった。毎日こんな風に誘惑されたら、誰が耐えられると言うのか。これは彼の命取りじゃないか?

 中村薫は、その場に残ってくすくすと笑っていた。彼女は森岡翔をとても可愛いと思った。

 それに、森岡翔はおそらく童貞だろうと確信した。彼のような大金持ちの息子が童貞だなんて、信じられる?

 もしかして、森岡翔は体の関係ができないのだろうか?それに、もしそうだったら、私の存在価値はどこにあるの?どうやって彼に近づけばいいの?

 そんな、そんなはずないと中村薫は心の中で自分に言い聞かせた。

 もし森岡翔が中村薫の考えを知ったら、きっとその場で彼女を抱いていただろう。問題があるだと?なんて失礼な考えだ。

 森岡翔は最上階へと上がった。

 そして、寝室へと入った。

 豪華なベッドに身を投げ出した。

 彼は中村薫から逃げるために、ここに上がってきたのだ。あの女は本当に色っぽい。森岡翔は少し参ってしまったが、だからと言って、彼女に嫌悪感を抱いているわけではない。

 スマホを取り出してラインを開いた。

 昨日投稿した臨江の夜景写真に、100件以上のコメントがついていることに気づいた。

 いくつかコメントを見てみたが、ほとんどが彼をからかうような内容だった。

 仲の良い友達からのコメントにだけ返信をしたが、自分がここにマンションを買ったことは言わなかった。どうせ言っても信じてもらえないだろう。

 チャット画面に戻ると、何人かからメッセージが届いていることに気づいた。

 山田佳子からは、おはようというメッセージが届いていた。

 もう一つは、従妹からだった。叔母の娘で、山下美咲という。彼より2歳年下で、違う街の大学に通っている。

 二人はとても仲が良く、高校時代は最初の2年間は叔母の家で一緒に暮らしていた。高校3年生の時だけ、伯母の家で暮らした。

 高校3年生は受験勉強で忙しい時期だったし、叔母の家の息子がいたずら好きで勉強の邪魔になるため、伯母の家に引っ越したのだ。伯母の娘は彼より2歳年上で、今はもう大学を卒業して働いている。

 「翔兄、この写真、どこで撮ったの?すごく綺麗!」

 森岡翔は返信した。

 「江城で撮ったんだよ。美咲も気に入ったなら、休みに江城に遊びに来なよ。案内してあげるよ」

 すぐに返信が来た。「本当?嘘ついたらダメだよ!」

 「本当だって。翔兄が美咲に嘘をつくわけないだろう?」

 「わかった!じゃあ、約束ね!休みにになったら、すぐに行くから!」

 「OK」

 「翔兄、今、クジラライブで配信してるんだ。暇な時、見に来てね!」

 「おいおい、美咲も配信やってんのか?」

 「翔兄、ダサっ!うち、みんな配信やってるよ。面白いし、お小遣い稼ぎにもなるし」

 「じゃあ、今晩見に行くよ。美咲の配信、盛り上げてやるよ」

 「あ、そうだ、翔兄、まだバイトしてるの?私、先月配信で6万円以上稼いだんだ。それに、お母さんから3万円もらったから、後で4万円送るね!沙織姉さんと美味しいもの食べに行っておいで」

 ここまで読んで、森岡翔は少し感動した。高校2年生の時に叔母の家から引っ越して以来、美咲とはほとんど会っていなかったが、二人の絆は変わっていなかった。

 「そんなのいいよ。美咲は、そのお金で可愛い服でも買ってな。休みに江城に来たら、兄貴がサプライズしてやるよ」

 「どんなサプライズ?」

 「それは秘密!」

 「もー!翔兄、もう行かなきゃ。授業始まるから。バイバイ!」

 「バイバイ!」

 しばらくすると、ラインで美咲から4万円送られてきた。

 森岡翔は少し考えた後、受け取ることにした。

 今晩、その千倍、いや一万倍のギフトを贈ってやるからな。

 森岡翔はそろそろ時間だと感じ、下の階へと降りていった。そして、中村薫に鍵を一本渡した。

 約束は守らなきゃな。もし、一緒に住むのが無理になったら、ここから引っ越せばいい。また別のマンションを買えばいいんだ。金ならいくらでもあるんだから。

 彼は、恋人同士になる前に体の関係を持つのは良くない、と考えていた。責任感の強い男なのだ。

 そして二人は、金葉ホテルへ戻ることにした。

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